江戸時代、松阪には京都西陣から「衣服大祖」と月参するほど信仰をされていた神様が鎮座されています。それが何度もご紹介している皇大神宮の所管社である「神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)」「神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)」なんです。
五世紀の後半、大陸から渡来した技術集団、漢織(あやはとり)、呉織(くれはとり)たちは、松阪市の東部一帯に住むようになり、その地にわが国初めて紡績のメカニズムが持ち込まれ、その高度な技術によって、古代日本の一大紡織の中心地になりました。その後六九八年、時の文武天皇から「連(むらじ」の姓を賜り、氏族と公認されて以後、服連(はとりのむらじ)麻続連(おみのむらじ)として、皇大神宮に織物を献納することになりました。
太古の昔から変わらぬ姿であり続ける神の森では、伊勢神宮で春と秋に行われる「神御衣祭(かんみそさい)」にそなえられる絹布(和妙・にぎたえ)と麻布(荒妙・あらたえ)を織る二つの機殿神社で今も五月と十月に地元の方が御衣を奉織しています。
両機殿の八尋殿で皇太神宮正宮と別宮の荒祭宮での神御衣祭に供える御衣を奉織することを地元で「おんぞさん」と呼ばれています。
十五世紀、エジプトやインドを原産地とする木綿が日本に伝えられます。暖かく丈夫な木綿は「天下の霊財」とまで讃えられ、それはまさに衣料革命を引き起こすことになりました。良質な木綿栽培には、いくつかの条件があり、一つ目は気候が温暖なこと、二つ目は水はけの良い土地であること、そして三つめは、肥料としてイワシを干した燐酸件の「干鰯(ホンカ)」が欠かせないことでした。こうした条件を満たす地域が、伊勢湾岸と大阪湾岸でした。
松阪を中心とした伊勢湾岸では、上物の木綿栽培の先進地として、江戸と上方の大消費地へと衣料革命を進めていきました。古代の紡織技術と木綿が結びついて、松阪もめんを全国へ広げていくことができたのです。
粋を誇りとした江戸の庶民は、倹約令でお仕着せだった着物の中で、最大限のオシャレは「松阪ジマ」だったのです。粋とは、飾りたてず派手に目立たぬこと。すこし離れると地味な無地に見えるが、よく見れば繊細なすっきりとした縦縞が走る松阪もめんは、粋の感覚にピッタリだったようで当時の江戸の人口100万人に対し、なんと年間に50数万反もの売上げがありました。
歌舞伎の役者さんが縞の着物を着ることを、今だに「マツサカを着る」と言うそうですが、それほど縞といえば松阪もめんが代表的だったということです。
松阪は織物の聖地と言えるところです。
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