吉野の千本桜は麓から、下千本、中千本、上千本、奥千本と順番に開花していき4月いっぱいくらいは楽しめます。毎年30万人以上の観光客が訪れるスポットです。
吉野山に桜がたくさんあるのは、宗教的な意味があります。白鳳時代に呪術者であった役小角(えんのおづの)[後々に役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれる]は修験道として吉野山に入り命がけの苦行をする事で罪と穢れをあがない、大自然の霊気を感じることで自分の中にエネルギーをおこし生まれ変わる事を自覚しました。役小角は修行でやがて即身成仏の域に達し、そのとき出現したのが蔵王権現の仏さまです。
役小角は山桜から蔵王権現の姿を掘り出し、山上ヶ岳と吉野山に祀ったとされています。 このうちの吉野山に祀られたとされるのが現在この金峯山寺(きんぷせんじ)です。
蔵王権現が掘り出された山桜はいつしか聖なる木とされ、お参りする人が山に桜を植え続けました。江戸時代には1万本を植林した豪商もいて、それが現在も続き吉野の桜は山を覆いつくすほどになりました。
吉野の桜は、シロヤマザクラが多く植えてあるので、日本中で多く見かけるソメイヨシノとは少し違います。この桜は葉が出てから花が咲く品種ですので、散りかけと勘違いする人も多いようです。
1本1本の木を見ると花が少なく感じるのですが、全体で見渡せば迫力があります。つまり吉野山は個の美しさよりも群の美しさが魅力なのです。
豊太閤秀吉が、絶頂の勢力を誇った文禄3(1594)年、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れました。しかし、この年の吉野は長雨に祟られ、秀吉が吉野山に入ってから3日間雨が降り続きました。苛立った秀吉は、同行していた聖護院の僧道澄に「雨が止まなければ吉野山に火をかけて即刻下山する」と伝えると、道澄はあわてて、吉野全山の僧たちに晴天祈願を命じました。その甲斐あってか、翌日には前日までの雨が嘘のように晴れ上がり、盛大に豪華絢爛な花見が催され、さすがの秀吉も吉野山の神仏の効験に感じ入ったと伝えられています。
松阪の国学者本居宣長は、なき父母がなかなか子宝に恵まれず、吉野の子守の神(吉野水分神社)に熱心にお参りをしたご加護で自分が生まれたと信じており、そのお礼参りのため、世に聞く吉野の桜見物をかねて春の吉野に訪れました。その様子は「菅笠日記」に納められています。
吉野の桜は、整備された街の桜ものとは異なり、「花見」のためではなく、山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として現在まで大切に保護されてきています。今後とも自然と融合した見事な桜が見れることを願っています。
多くの人を魅了し続ける桜は、日本人みんなが大好きですね。
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