美濃田の大仏様


  松阪ICからほど近い美濃田町の敏太神社(みぬだじんじゃ)の隣りに三重県には珍しい大仏様が建立されています。元々は、800年ほど前の鎌倉時代に本地仏として木造の大仏が作られ真楽寺の塔頭であった長楽寺に安置さていたそうですが、440年ほど前に織田信長の伊勢攻めで難攻不落であった大河内城との戦いの際、神社、お寺、大仏などすべて焼き払われてしまいました。


  現在の大仏様は、江戸時代の1737年紀州粉河に住む蜂屋平右衛門正勝が製作したものです。この大仏は、隣接地の敏太神社の八幡宮の本地仏として真楽寺の三世静室素住と地元の中川清左衛門とが協力して造立のために資金集めに奔走して苦難の末、13年がかりで高さ3mで鋳造の阿弥陀如来として再建されました。

  苦労した造像資金を集めるためには、享保14年(1729)より3年間、伊勢参りでにぎわう市場庄の参宮街道へ小屋を作り、そこに実物と同じ3m丈の絵像をかけ、真楽寺の弟子たちが詰めて、往来する旅人から援助をしてもらいました。その喜捨を得たい旨、関係筋へ願い出たそのときの文書が残っているそうです。

  当時、伊勢国にも津を中心に活躍した辻氏という実力ある鋳物師がいました。梵鐘を中心にして、今も県内に多くの作品が残されていて、津市の天然寺や大門・観音寺には高さ約160Cm銅造の阿弥陀如来立像も残されています。すぐ近くに著名な鋳物師がいるのに、なぜわざわざ紀州の鋳物師に建造したのか?真楽寺に残っている書面によると、辻氏や何人かからも見積もりをもらったのですが、高かったようで、制作費が安く、また実績もあった蜂屋平右衛門に発注することになったようです。

  当時、江戸時代の松阪は、津の藤堂藩の中の飛地で、紀州徳川藩の領地でしたので、往来が多かった同じ紀州藩の粉河との関係は、問題なく作れたと思います。文書には、美濃田から粉河へ出向いて打合せをしている様子もわかりますし、大仏の頭部は粉河の方で特に入念に造って松阪まで運んでいます。松阪と和歌山は、櫛田川に沿って高見山を越え吉野そして紀ノ川で結ばれ、参勤交代や伊勢参りなど往来が盛んだったのでしょう。

  明治元年の神仏分離令により真楽寺と神社は大仏の北側に道路を作って分けられ長楽寺は廃寺となり、大仏様も真楽寺に移されました。しかし明治9年に有志が台座を新造して現在の場所へ大仏様をもどしています。

       道で隔てたところに禅寺の真楽寺があります。

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