旅に生き、旅に死んだ漂白の詩人、松尾芭蕉翁は元禄7年(1694年)10月12日、51歳で亡くなりました。その翌年から、伊賀上野では毎年、翁の遺徳を慕う者が集い、「しぐれ忌」が営まれてきました。その後、昭和22年からわが国の詩歌史上に「俳諧」という庶民詩を確立した芭蕉翁の偉業を顕彰するため、「しぐれ忌」は「芭蕉祭」へと改められました。
上野公園に俳聖松尾芭蕉を顕彰するために建てられた壮大な殿堂の俳聖殿は、木造檜皮葺き屋根の二層の塔建てで、初層は八角、二層は丸型という八角重層塔建式の特殊な構造の建物です。旅に生涯をおくった漂泊の詩人芭蕉翁の旅姿を象徴しています。二階の屋根は旅笠、「俳聖殿」の文字(故川崎氏の書)辺りは顔、一階の八角型の屋根は衲衣(着用していた衣服)の肩から腰の姿、その屋根を支える周囲の柱は足と杖を表しています。
俳聖殿内には伊賀焼の芭蕉翁座像が安置されています。原型は芸術院会員の故長谷川栄作氏が製作、伊賀焼の研究家としても知られる故川崎克氏が自ら築いた伊賀窯をもって焼き上げたもので、等身大の伊賀焼はかつての陶窯の歴史に例を見ない大作であり、穏やかな風貌の瞑想像は陶芸芸術の傑作といわれています。
10月12日の芭蕉翁の命日にはここで「芭蕉祭」が挙行され、翁の業績を称え遺徳を偲ばれます。そして、全国から応募された俳句や連句が芭蕉翁像に奉納されるほか、「芭蕉祭」創設時からの選者献詠句並びに特選句、俳文学研究の優秀著作に贈られる文部大臣奨励賞の懸額もここに 永久保存されています。この全国俳句大会や芭蕉翁遺跡参観などは、山都伊賀上野にふさわしい、文化薫る歴史のまちの象徴といえるでしょう。旅人と建築をひとつのものとして表現した日本でも類例のない俳聖殿は、建築美術の上でも傑作といわれます。
松尾芭蕉翁は、寛永21年(1644年)に現在の三重県伊賀市に生まれました。伊賀上野でも熱心に活動していた窪田政好・保川一笑らから俳句のてほどきを受けた芭蕉は、20歳になる前に京都の北村季吟に師事して本格的に俳諧の道へ進みました。旅の作品を作り始めまたのが41歳からで「野ざらし紀行」、「更科紀行」、「奥の細道」、「嵯峨日記」等です。
1644年の芭蕉翁生誕の場所は史跡に指定されています。
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