本居宣長記念館を発着に国学の道スタディーが行われました。
魚町にある本居宣長旧宅跡は、中に入って見学することができます。国の特別史跡に指定されています。
本居宣長旧宅の建物は、元禄4年(1691年)に宣長の祖父が養母の隠居所として松阪の職人町に建てたもので、その後享保10年 (1726年)に現在の旧宅跡である魚町一丁目に移築されました。宣長は父親が死去した翌年の寛保元年に家族と共にそこへ移り住み、それから没するまでの60 年間を自宅として過ごしました。明治42年に公開のため旧宅のみが松阪城跡へ移築され、現存する場所となっています。
宣長翁は、昼間には店の間で診療を行い、夜は奥座敷にて古典講釈を行っていました。二階部分は物置を改装した書斎にしました。書斎の床の間には36個の鈴が繋がれた柱掛鈴が掛けられており、宣長はその鈴の音を息抜きに楽しんでいたといいます。それよりこの書斎は「鈴屋」と名付けられ、さらにはこの旧宅自体をも「鈴屋」と呼ぶようになりました。
参宮街道と和歌山街道の分岐する松阪は、宿場町として栄えました。市中には本陣・脇本陣・伝馬所等が置かれ、旅館や遊郭が軒を連ねにぎわいました。本陣とは、大名・幕府役人・宮家・公家等が宿泊した公認の旅館で、元和8年(1622)以来、中町の美濃屋庄右衛門が務めた。美濃屋は、現在の松崎屋食堂から山作餅店の付近にあり、松崎屋食堂横の道は、今も「美濃屋小路」と呼ばれています。
日野町交差点近くにあった旅籠「新上屋」で、宝暦13年5月25日(西暦1763年7月5日)、本居宣長(34歳)と賀茂真淵(67歳)が初めて対面しました。
生涯たった一度の対面でしたが、真淵は、宣長の『古事記』研究のためにはまず『万葉集』を学ぶことを勧め、自分の生涯をかけた『万葉集』研究の成果一切を宣長に伝えることを約束し、国学の歴史の新たな展開がここに始まりました。
この日のことを、二人の対面を描いた佐佐木信綱の文章により「松阪の一夜」と呼んでいます。
新上屋跡に建つカリヨンビル3階の市民活動センター前にある「松阪の一夜」のパネルの説明を熱心に聞いていました。
少し蒸し暑い中、2時間の国学の道巡りお疲れ様でした。
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