高山の古い町並みを歩くと、大きな「杉玉」をつるしたお店を何軒か見ることができます。杉玉は杉の葉を集めて出来た球体で、新酒を作りはじめた頃に青々としているが、次第に枯れていくことで、お酒の熟成度を道行く人に知らせる、看板のような物です。
江戸時代、徳川幕府の天領になった飛騨高山では、武家の影響力がほとんどありませんでしたので、高山では「旦那衆」と呼ばれる豪商たちが力を持ち、豊かな経済力を背景に、豪華絢爛な高山祭りや町家造り、伝統工芸の数々など、現代まで残る華やかな町人文化をつくりあげました。
高山の町人たちは、陣屋に遠慮して高い建物をつくらず、通りに面した2階は低く、軒を深くして敬意を表しながら、内側には本座敷という立派な部屋を設け、独特の町家建築が建ち並ぶ高山の街並みができました。
江戸時代の名残をそのまま伝えるのが、一之町・二之町・三之町が並んだ「三町筋」です。
飛騨の酒どころでもある高山には、舩坂酒造をはじめ一之町・二之町・三之町 を中心に8軒もの蔵が酒造りを行っています。 会社規模にもよりますが、個人よりも財力のある法人が、古い商家や町並みを受け継いでいることも、重要な要素なのかもしれません。
飛騨高山で生まれた郷土人形の「さるぼぼ」は、その昔子供が産まれたときの御守として、玩具の代わりに与えられたものです。
「猿」という読みをかけて、「災いが”さる”」、「家庭”猿”満(かていえんまん)」、「”猿”むすび(えんむすび)」など、厄除けや縁結び、女性の安産のお守りとしてお土産となっています。
天気予報によく出てくる赤い「中橋」は、擬宝珠をつけた欄干付の優美な京風の橋です。天文五年(1536年)の刻印が擬宝珠にあります。
さんまちと高山陣屋を結ぶ朱塗りの中橋は、宮川がお堀の役割を担っていたころ、橋は中橋と枡形橋だけだったといいます。高山陣屋に通じていたため「代官橋」とも呼ばれていました。また、宮川沿いに桜が咲くころの風景は特にすばらしく、桜色と新緑の緑色に、朱色の橋が鮮やかに映えます。
6月の平日ですが、たくさんの一般観光客が歩いているほかに大阪の中学生の修学旅行の団体や、中国からの団体と大変な賑わいでした。松阪にもこれくらい人が来てくれればいいのにと、うらやましいかぎりです。
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