大正時代の茶重商店の歩み、地域に支えられて150年

茶重商店二代目 伊之助と三日市大売出しの光景写真

 

朝夕は幾分過ごしやすくなり、毎朝松阪城公園でラジオ体操
(はまった)の行く道で耳をすますと
スズムシの鳴き声が大きくなってきたことに気が付きます。

ところで、毎日ニュースでとりあげている各地に
深い爪痕を残した大雨の被害。まことに心が痛みます。
お見舞い申し上げます。
 

1863年(文久3年)に創業されで150周年を迎える茶重商店
お茶と陶磁器の地域密着の特性を生かして、地元に愛される
卸、小売りの商売を目指してきました。

 

開業当初は蒲生氏郷以来、商業都市として大番頭、小番頭、丁稚小僧の十数人がそれぞれ持ち場を担っていました。
裏奥まで店先までトロッコが敷いてあり、土管、コンロを運び行き来して、
盆正月に郡部にまで大八車で運び、地元の方々への信頼、感謝は先代 伊之助が伊勢茶の普及にその役割を充分に成し遂げました。
茶重商店ができたことは自然な流れだったのかもしれません。

 

大正時代 江戸後期から正喜撰(煎茶)と雁が金の選別風景 輸出時代の名残です。

大正時代 江戸後期から正喜撰(煎茶)と雁が金の選別風景 輸出時代の名残です。

二枚目の写真は大正初期の貴重な茶重秘蔵公開です。
荒茶を精製加工したとき、茎、沈(ジン)、粉などを出物を選別します。
煎茶の葉肉だけを残し、繊維部分(出物)はすべて選別します。
荒骨(太い茎)、薄折(細い茎)の出物は雁が金の原料となりますが、
その量は膨大でしかも原価が安く見積もりますから、煎茶を扱う茶店は
雁が金は美味しくお徳用であると思います。今日でもかわりません。
 

明治中期には輸出用として①生糸②緑茶③陶器でした。
輸出先はアメリカ、ロシアでしたが紅茶の台頭でモロッコ、北アフリカ諸国が主になりました。
戦後の日本茶輸出は姿を消し、在外邦人が相手の細々としたものでした。
 

しかし、和食文化の世界的に広がり、緑茶の美味しさが伝わり、近年は日本食ブームと相まって需要が増えてきました。
保健飲料として日本茶は再び世界の人々に受けいられつつあります。
松阪は気候にも食にも恵まれた素晴らしい土地、親しみやうく、おもてなしの接客が得意です。

 

10年後、20年後地域の皆様と共に社会に必要とされる企業であり続ける。
一期一会、お客様との出会いを大切に、飲んでうまいお茶つくりこそ終生の使命と考えています。

茶重商店 五代目 塚本重夫

 


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お問合せ先

住所:三重県松阪市新町819
TEL:0598-21-0701
営業時間:10:00~19:00
定休日:日曜日
URL:http://www.cha-ju.com/
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