石楠花の名刹


  奈良県の室生寺は、シャクナゲの花で有名です。総数3000本以上ともいわれるシャクナゲは,赤,淡紅など微妙な色の変化とあでやかな姿で目を楽しませてくれています。

  朱色の太鼓橋を渡ると、杉木立と原生林に囲まれた境内には本石楠花が自生してきました。昭和になり、お寺で手を加えて繁殖させ立派な群生地にしてきました。


  シャクナゲ (石楠花、石南花) は、ツツジ科ツツジ属低木の総称です。福島県と滋賀県では、県花とされています。

  満開の石楠花と国宝の五重塔は、絵になります。

  石楠花の石碑も建てられ、大切にされていることがわかります。素晴らしい美しさの花たちに和ませてもらえます。

  平安時代初期頃に建立されたこの塔は、総高16m余で、初重の塔身一辺が2.45mの塔婆ですが、屋外にあるものとしては最も小さい五重塔になります。古式どおり基壇の上に建ち、初重には縁、高欄は付いていません。三重塔も含めて、基壇がなくなって、初重に縁や高欄が付くのは平安時代中期以降のことになります。

  屋外にある木造五重塔としては、法隆寺塔に次いで2番目に古く、国宝・重要文化財指定です。山深い緑と花の中、朝日に映える美しさは、格別の風情です。

  軒にある地垂木は円形断面、その上の飛檐(ひえん)垂木は角型で地円飛角という、古代建築の特徴で、平安中期以降の建築は、両方とも角垂木となっています。

  塔の上の相輪部は、九輪の上に受花、宝瓶さらに天蓋、竜車、宝珠を掲げています。これは、他の塔では見られない極めて珍しいことのようです。

  素敵な石楠花のピンクと本堂のコントラストがいい感じです。

  五重塔から奥の院までは、七百段もの階段を昇っていくことになります。弘法大師を祀る御影堂は大師堂ともいわれていて、板葺き二段屋根の宝形造りで、屋上の宝珠と露盤は優品です。日本各地にある大師堂の中でも最古級のお堂です。



  仁王門で参拝者ににらみを利かす青色の「吽形(うんぎょう)」と赤色の「阿形(あぎょう)」は、迫力あります。二つで対になって「阿吽」というので、二人が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを「阿吽の呼吸」や「阿吽の仲」と言いますね。仁王様と狛犬や沖縄のシーサーなどは、一対で存在する宗教的な像のモチーフとされています。


  阿吽(あうん、Skt:A – hum)は仏教の呪文(真言)の1つ。悉曇文字(梵字)において、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされました。


  室生寺は、北緯34度32分の「太陽の道」にあり、室生寺の古い記録によると、室生山には大日如来の宝珠があって、これが垂迹して天照大神になったとあります。そうした伝承は、おそらくここが太陽祭祀の聖地であったからでしょう。

  金堂本尊の背後にインドの太陽神である帝釈天の曼荼羅を描いた大きな国宝の板絵。寺宝には太陽神の天照大神をあらわす重文の大きな鏡、大神宮御正体などがあって、太陽信仰とこの寺の関わりの深さを感じます。1日ゆったりした時間を過ごせるパワースポットです。


女人高野「室生寺」


  奈良県宇陀市室生にある真言宗の室生寺は、真言密教の根本道場である高野山が、厳しく女人を禁制したのに対し、女人にも開かれた道場「女人高野」として広く親しまれるようになりました。この地が持つ開かれた気のが多くの人を惹きつけているのでしょう。

  切り立った円錐形で神山といわれる室生山の麓にある室生寺の起源は、奈良時代の末期、皇太子の山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒の祈願のため、五人の僧がこの聖なる山中で祈祷をして優れた効果があったことから国家の為に建立したお寺です。
 空海や最澄に並んで平安時代初期の仏教界を指導する高名な学僧である奈良・興福寺の修円が、伽藍の造営をしたことから興福寺との関係が深かったようですが、天台宗や真言宗などの高僧を迎え、山林で修行し、各宗を勉学する道場として、仏教界に大きな役割を果したようです。

  奥深い深山という室生寺の環境は、密教の道場にふさわしいことなどから、次第に密教的色彩を強め、鎌倉期には真言密教の最も重要な儀式を行う灌頂堂と、弘法大師を祀る御影堂を奥の院に建立されました。誰もがお参りできることから「女人高野」として中世から信仰を集めるお寺になったのでしょう。

  早朝の気持ちいい空気の階段は、石楠花に飾られ、きれいに掃除していただいています。そこを昇ると、国宝の金堂と重文の弥勒堂が現れます。

  国宝の金堂には平安時代初期の仏様がたくさんおられます。いずれもその時代を代表する仏像です。釈迦如来立像と十一面観音立像が国宝に、薬師如来・地蔵菩薩・文殊菩薩などが重文に指定されています。その前には鎌倉時代の十二神将像、これは運慶作だそうです。これだけのものをそばで見れる幸せを感じます。

  弥勒堂には客仏の国宝釈迦如来座像があります。写真撮影は禁止になっています。


  金堂前庭の右手、天神社拝殿脇の岩に彫られた軍茶利明王があります。像高81cmで舟形に彫り窪めた中に彫られています。かなり大きな岩です。享保12年(1727)の造立銘があります。てっぺんには苔やさまざまな木々の芽が出ていてこの岩自体に生命を感じます。。

  金堂からさらに石段を登ると灌頂堂(がんじょうどう)といわれる本堂があります。ここは真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂です。


  かつては真言密教の重要な法儀である結縁(けちえん)、伝法などの灌頂を行う道場でしたが、江戸時代後期以降は如意輪観音を安置する本堂となりました。
灌頂堂時代の名残として、内陣の左右に化粧柱を立て、その壁面に真言宗の教義である胎蔵界と金剛界の曼荼羅を向い合せに掛けるようになっています。この曼荼羅の間が儀式空間となります。

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  凛とした空気の中、花の国宝五重塔と本堂をながめると、天界のようです。


吉祥龍穴の神秘


  龍穴神社の真後ろあたりに岩窟が口を開けていて、その下を清水が流れているところがあります。ここが龍神様が棲んでいらっしゃる「吉祥龍穴」です。この龍神はもとは奈良市内の猿沢池にいましたが不浄があってそれを嫌ってここに移ったといわれています。

  小さな鳥居をくぐって急坂を30mほど下ると、小さな拝殿があり龍穴に縄がかけられているのを見ることができます。

  

  招雨瀑から落ちた美しい水は、巨大な岩盤を滑るように流れて龍穴の前に至り、清々しい空気を作りだしてくれています。緑と岩肌のハーモニーにとてもマッチしています。

  対岸の岩にポッカリと開いた龍穴に対して拝所である奥宮となります。


  手を合わせて拝むと、今までに経験したことがないほど鳥肌がたち、たくさんの龍神様がいらっしゃる気がしてものすごいパワーを感じました。神秘の時間が長く経ったような気がします。

  龍穴の前一帯は「龍の棚」といわれていて、静かで静寂な雰囲気で龍がいつ現れてもおかしくないです。大宇宙とつながっているようです。

  近くに天照大神が岩を開いて暗黒を照らし鎮めたといわれる「破石(われいし)」があり、天の岩戸といわれています。

  石積みの上に鮮やかな朱の小さな社がお祀りされています。

  岩にはとても強いエネルギーが溜まっていて、いつも周りに発散しているようです。この場所に来れたのが奇跡に思えてなりません。


雨乞い龍穴神社


  室生寺よりも古く、雨神を祀っていて雨乞いの神として知られている龍穴神社が室生寺から約1キロのところに鎮座しています。主祭神は龍神だといわれる高靇神(タカオカミノカミ)あるいは、善如竜王です。神域には龍穴と呼ばれる洞穴があって今でも雨乞いの行事が行われています。ここの龍神が室生寺を守っていると伝えられ、秋まつりには室生寺から神社までの「お渡り」があります。


  「善如龍王社」は、弘法大師が神仙苑に雨乞いを行った際に現れた龍王で、その形像は、雲に乗る竜神の背に立つ唐の官人の姿に描かれ、その左手には宝珠を盛った鉢を持つ。龍そのものではなく龍を統べる女神のようです。

  境内には巨木が多く、圧倒されます。


  境内にはご神木の「連理(れんり)の杉」(夫婦杉)があります。夫婦和合・家庭円満・家運隆昌に霊験あらたかで、県の重要文化財にも指定されました。

  大木には、神様が鎮まられているようで、ご神気が十分感じられます。龍穴神社は室生寺よりも古く、室生寺は龍穴神社の神宮寺ともいわれ龍王寺と呼ばれていた時期もあったようです。山麓の室生寺と谷を祀る龍穴神社は陰陽の一対の関係になっています。

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神島の祭り


  人口500人ほどの小さな島に、元旦未明の奇祭として知られるゲーター祭がある。「天に二つの日輪なく、地に二皇あるときは世に災いを招く。若し日輪二つある時は、神に誓って偽りの日輪は是の如く突き落とす」の古き由縁を表したとも言われていて、諸悪を払い、無事平穏な1年になるよう願いを込めた祭りです。
 アワが高く上がれば上がるほどその年は豊漁だという。最後にアワは打ち落とされ八代神社に奉納されます。

「宮持」と言われるものと関係者30人ほどが集合し、大晦日夜にアワと呼ばれる輪作りからはじまり、グミの枝を束ねて荒縄で縛り、直径約2mの輪ができます。そして、その上へ上へと半紙、障子紙を幾重に巻き付けてアワが完成すのです。

  200段を超える高い石段の上に鎮座する八代神社。社宝の中には、中国の鏡など興味深いものがあり、宝物の銅鏡などが伊勢神島祭祀遺物として国の重要有形文化財・考古資料に、また鉄獅噛文金銅象嵌鍬形が、国の重要有形文化財・工芸品に指定されています。考古学的に貴重なものが大切に保存されている神社です。

  綿津見の神は「聞け、わだつみの声」などという本でも名前が通っていますが、海の神様です。山の神様である大山祇の神と対になっています。

  神社へ上がってくる途中には、保育所があり桜が満開です。園児たちは、毎日この急な階段を昇って降りて通園しているのでしょう。ここまで来るだけで息切れしそうでしたが、途中で前を歩いていたワカメを採ってきたおばあちゃんと話しながらのゆっくり楽しく来れました。島の人は穏やかです。


  定期船のりば前から伸びた道をまっすぐ進むと、時計台跡が見えてきます。昭和4年、監的哨の設置された記念に作られたもので、当時は唯一の時計台として貴重なものだったようですが、今は動物の絵が入った時計がはめこまれていて故障中でした。


  「潮騒」の取材で1か月ほど神島に滞在した三島由紀夫は、当時の漁協の組合長だった寺田さんの家で生活したそうです。その前にある洗濯場は、各家に水道がなかったためここで洗濯をしていたのです。小説にも生活感豊かに表現されていて、今でも憩いの場になっているようです。

  昭和28年、三島由紀夫は川端康成宛ての手紙にこんなことを書いていました。「目下、神島という一孤島に来ております。映画館もパチンコ屋も呑み屋も、喫茶店も、すべて『よごれた』ものはなにもありません。この僕まで浄化されて…。ここには本当の人間の生活がありそうです」(『三島由紀夫書簡集』)。
 神宮を守る島で癒しとパワーをいただきましょう。

   松阪市出身の「田村元」元衆議院議長の銅像が港にあります。


  お昼ご飯に食べた定食のお刺身とさかなの煮つけが美味しかったのが忘れられません!聖地神島のゆったりと流れる時間の中でヒーリングツアーを体験してみてください。帰りの船の心地いい揺れに自然と自分でも船を漕いいたようで、鳥羽港に着いたら、心身ともすっきりです。


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