東海道 要塞都市「亀山」


 三重県亀山市はとても小さな城下町なのですが、東海道が東西に通り発達した街です。旧城下町は丘陵地の崖地の上に広がり、そこから、さらにせり上がる高石垣の上に城下町唯一の遺構 多門櫓がそびえています。
 この城下町は、丘陵地を切り開いて城地を整備し、谷筋を埋め立てて堀を造りだしてきました。
 寛文年間には、家数370、旅籠屋21軒が記録されている亀山宿には、東町と西町に分かれ、東町にあった大手口の前には樋口本陣と椿屋脇本陣がおかれました。

  亀山は鈴鹿山脈の南麓の中腹に位置し、南を東流する鈴鹿川沿いにある亀山駅からみると20?30m上がった小高い丘の上に位置しています。麓下にある県道(旧国道1号線)から北方向を見上ると、斜面の緑が帯状に連続し旧城下町と宿場町が丘陵地にあることが実感できます。
 東海道の鈴鹿の関に近い亀山の地は、交通の要所であるだけでなく、西方からの防衛最前線の役割も持っていたのかもしれません。
 亀山城下町は、周囲から一段高く急峻な崖地に囲まれた場所にあり、鈴鹿山脈を越えてきた上方からの侵攻を食い止める要塞都市として建設されたのです。
 東海道はもともと鈴鹿川沿いに通っていたのを城下へ引き入れ宿場町をつくったようです。

  江戸から東海道を上る旅人は、桑名の渡し場で船を下りたあと、四日市宿、石薬師宿、亀山宿、関宿を通り鈴鹿の峠を越えて畿内に入ります。
 広重は、モノトーンに近い雪景色の静寂の中に京口門と斜面下に佇む家並みを描き、斜面を登る旅行列をわずかに覗かせてアクセントとしています。そして中央の松が迫上がり、京口門を押し上げている斜面を一層鋭角に見せています。
 静かな町並みで「亀山に過ぎたるものの二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門」と謳われた亀山宿京口門を出て、旅人達は関を目指した。広重の東海道五十五枚中の三代役物のひとつとされている傑作『亀山雪晴』はこの場所から描いたと言われている。現在はかつてここに門があったことを伝える案内板があるのみだが、広重が心に留めたであろう亀山城の方向を仰いで、往時を偲ぶことができます。

  亀山西小学校は、東三の丸御殿のあった場所にあります。最近建て替えられたようですが、白壁が美しく古い町並みに無理やり合わせることなくて、とてもきれいなデザインでいい感じです。道の向かい側には、市役所があります。


  亀山市は、昔から交通の要衝でしたが、亀山ローソクに代表される地場産業があったにすぎなかった。
 近年になると、隣接する鈴鹿市に本田技研工業の鈴鹿工場があるために自動車関連産業が、また、古河電気工業の銅線工場に代表される非鉄金属産業が市内の製造品出荷額のそれぞれ4分の1以上を占めてきた。
 2002年にシャープの液晶工場(シャープ亀山工場)が建設稼働して「世界の亀山モデル」と吉永小百合さんのCMで一躍名を馳せました。以降、液晶関連産業の集積も進んでいましたが、シャープ亀山工場の一部海外移転など今後の課題もあります。

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